パッチクランプのデータが何を語るか
以前このブログでパッチクランプ法の方法と原理を紹介しました。
今回はそのパッチクランプ法を使うことでどのようなデータが得られ、そしてそこからどんな事実が証明されるのかを説明したいと思います。
パッチクランプ法と一口にいってもOutside-out法や、Inside-out法、Whole-cell法などいろいろな種類があります。さらに微小電極法と呼ばれるパッチクランプ法とは異なる種類の電気生理学的な実験手法もあります。微小電極法はいまではあまり行われていません。今回はパッチクランプ法の中でも特に重要なWhole-cell voltage clamp法に焦点をしぼって説明していきたいと思います。
Whole-cell voltage clampのデータを読む
Whole-cell voltage clamp法は簡単に言うと細胞に一定の大きさのガラス電極を密着させたのち穴をあけ、細胞内とガラス電極を電気的に接続させることで細胞内に入る電流や電位をコントロールする方法です。
例えば細胞内の電位を-60mVに保つとします。その状態でシナプス入力などにより細胞内に電流が流れ込んだとすると、パッチクランプアンプに接続されているガラス電極は細胞内に流れ込んだ電流と同じだけの電流を引き入れて細胞内の電位を一定に保つことができます。
パッチクランプアンプに流れ込んだ電流は知ることができて、それがそのまま細胞内に流れ込んだ電流の計測値となるわけです。
■ EPSCの基本
下の図を見てください。Whole-cell voltage clamp法でよく出てくる記録です。時間軸を横軸に、電流の大きさを縦軸にとっています。慣例により細胞内に電流が流れ込んだ場合電流を下向きに表示します。
このような波形はシナプス応答でよく見られる形です。例えばある瞬間シナプス間隙にグルタミン酸が放出されると後シナプスにあるグルタミン酸受容体が活性化されます。活性化したグルタミン酸受容体はイオンチャネルを活性化させることで細胞内へ陽イオンを流入させます。
細胞間隙に放出されたグルタミン酸は拡散し、すぐにグルタミン酸受容体を活性化させることができなくなります。そうするとイオンチャネルが閉口し、電流がすぐに減衰していくことになります。
このように急に立ち上がり指数関数的に減衰していく電流を興奮性シナプス後電流 Excitatory Postsynaptic Current (EPSC)といい、whole cell voltage clampでは上のような波形として記録されます。この波形はぜひ覚えておいてください。
■ EPSCの見方
このEPSCの波形はとても重要で見るところは主に三つあります。振幅とrise time constantとdecay time constantです。
振幅は文字通り電流の大きさのことです。
そしてtime constantとは日本語で時定数とも呼ばれ、電流のカーブを指数関数で近似したとき、その式の代表値のことです。電流が立ち上がるときと減衰するとき両方とも指数関数で近似することができます。
この値が大きいと波形全体がなまって見えるようになります。つまり電流が立ち上がり始めてからピークに達するまでが遅い、あるいはピークに達してから電流がなくなるまでが遅い、ということになるわけです。
振幅はシナプス結合の強さを示し、rise tmeやdecay timeはシナプスの位置やチャネルの特性を示します。rise timeやdecay timeは波形の時間的変化に注目した値であるために波形のkinetics (動態)という言葉が使われます。
チャネルの特性が波形のkineticsに反映されるのは言うまでもないです。例えば、素早く開くイオンチャネルとゆっくり開くイオンチャネルでは電流の立ち上がりのスピードは大きく異なるでしょう。
シナプスの位置についてですが、まずは神経細胞の形をイメージしてみる必要があります。神経細胞はふつうの細胞と異なり細胞の形が一様ではありません。Polarity(極性)があるといいます。
【補足】
神経細胞のほかにPolarityを持つ細胞としては上皮細胞が知られています。
【補足終わり】
通常模式的に示される神経細胞の形は細胞体、軸索、樹状突起の三つの構造を有しています。そしてシナプスは通常樹状突起に多く、それは細胞体から離れているということを強調しておきます。
Whole-cell voltage clamp法において電流は細胞体で計測します。とするとWhole-cell voltage clampの実験では測定する場所と電流が発生する場所が物理的に離れているということになります。
実はこのことが計測されたEPSCの波形に影響をあたえます。具体的にはkineticsが遅くなります。波形がなまると言います。
樹状突起の末端で電流が発生すると樹状突起の限られた範囲で電位が変化し、その変化を補うようにガラス電極から電流が出たり電流を引き込んだりします。
この間樹状突起から細胞体の間を電流が通過することになりますが、その通路に電気抵抗が発生します。この抵抗が大きいと波形がなまることになるのです。
もし仮に樹状突起上で計測出来ていたとしたらがシャープだったはずのEPSCが、細胞体ではどうしても少し(あるいはかなり)なまった波形が計測されてしまうということです。
このことはWhole-cell voltage clamp法という実験の限界ともいうことができますが、これを逆手にとってシナプスの位置について情報を得ることもできます。
つまり、波形がシャープであればあるほど細胞体に近いところで発生した電流であることがわかり、逆に波形がなまっていればなまっているほどその電流を引き起こしたシナプスは樹状突起の末端に近いところにシナプスを形成しているということが示せるわけです。(実際に論文でシナプス形成場所を示そうとした場合は、以上のような電気生理のデータに組織の免疫染色のデータを付けたりするとかなり説得力のあるものになるでしょう。)
終わりに
実験データの解釈の方法は非常に電気生理の面白いところだと思います。同じデータを見たとしても、人より多くを察することができる人がいるのです。